名古屋歴史

名古屋に存在する寺院や神社の由緒や、そこで行われる祭りについて紹介します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

名古屋東照宮

その道を進んで行くと・・・また神社。???どういうことだ?那古野神社の敷地内にはまだ神社があるのか?と思って、回りをよくよく見てみると、なんとここが名古屋東照宮でした。那古野神社側から見えた鳥居は、名古屋東照宮の鳥居だったのです。

那古野神社と名古屋東照宮が隣りあっているということは事前の調査で知っていましたが、これは隣りあっているというよりも、繋がっていると言った方が・・・ってな感じです。

道360度

少し分かりにくいかもしれませんが、この画像を見ると那古野神社の鳥居と名古屋東照宮の鳥居が一直線上にあることが見て取れます。ちなみにこの画像、那古野神社の現場取材の時の最後の画像に写っていた、敷地を隔てていると思われる鉄柱を中心に撮影しています。こういう時に360度カメラの本領が発揮されるのか?

とりあえず、改めて鳥居をくぐり名古屋東照宮へと足を踏み入れる。

東照宮鳥居

こちらも入ってスグのところに手水社があります。
那古野神社のような龍の蛇口はありませんでしたが、柄杓に大きく「水」と書いてあります。水以外のものをすくってはいけない、という意味でしょうか?

東照宮手水社


手水社で手と口を清めて、境内へと進みます。那古野神社に比べるとさっぱりした感じです。拝殿以外特に何もないせいでしょうか?しかし、その分唐門や拝殿はりっぱな造りに感じられます。那古野神社との違いは、やはり拝殿の前に唐門があるということです。

東照宮 門

東照宮 拝殿

そしてここでも家紋が目に留まります。徳川家に縁のある神社なので、当然葵紋です。他の家紋は知らなくとも葵紋だけは知っている、という人も多いのではないでしょうか?水戸黄門の影響ですね。

東照宮葵紋

葵紋は徳川家の紋として知られるていますが、もとは京都にある「加茂神社」の神紋です。加茂神社の葵祭に公家たちが葵の若葉を鬘にしたことから加茂神社の社紋となり、そこに奉仕する家の紋となった。徳川家はその祖先が三河の加茂郡松平の地にあって、加茂朝臣松平太郎左衛門と号したことによって、家紋を葵紋としたそうです。

しかし、時代を超えて織田家縁の神社と、徳川家縁の神社が隣りあっているというのは感慨深いものがあります。


ところで、名古屋東照宮にもありました、神社in神社。

福神社

福神社という神社です。どんな由緒のものなのかはちょっと分かりませんでしたが、その名の通り福を招き入れてくれるのでしょうか?奥のお社にある鏡がなんとも神秘的です。

さて、これで名古屋東照宮も一通り見終わりましたが、さすがにここでは面白いものは見つけられないなーと思いながらも色々観察してみると、こんなものを見つけました。特に面白いってわけでもありませんが。

東照宮キノコ

大量の菌糸に覆われたキノコです。キノコってこんな寒くて乾燥した時期に発生するものなのでしょうか?


今回、那古野神社と名古屋東照宮を取材しましたが、割と街中にあるにもかかわらず静かで良い雰囲気の神社でした。夏休みの早朝なんかに来たら、セミが鳴いてたりしてそうな雰囲気です。そして、今回の取材で小学校の時の遠足を思い出しました。何故か小学校一年生の時の遠足の行き先が神社だったのですが、境内でドッジボールや大縄跳びをした記憶が・・・今考えると、なんともバチ当たりです。二年生のときの遠足は古墳だったし・・・変な学校でした。

次回は残る一つの若宮八幡社の取材に行きたいと思います。更にその次は・・・どーしよ?
スポンサーサイト

三大祭の地No.3

名古屋歴史第四回目は名古屋東照宮です。

那古野神社例大祭、若宮まつりと並んで、名古屋三大祭と称される祭りの一つ、東照宮祭が行われる地です。この神社も、那古野神社、若宮八幡社とはただならぬ関係(?)で、若宮八幡社が名古屋城築城の際に名古屋城三の丸から現在の場所に遷座したのに対し、名古屋東照宮は徳川義直より城郭内三の丸に勧請された(しかも亀尾天王社(現在の那古の神社)の隣地)という歴史があります。現在の場所に仮遷座する際も、那古野神社の遷座と同時期に行われました。

こうして文章にしてみると、元々隣接していた那古野神社と若宮八幡社の間に名古屋東照宮が割って入って、結果的に名古屋東照宮が若宮八幡社を三の丸の地より弾き出した、って感じがしませんか?まぁ、実際のところは名古屋城築城に伴った事情により、穏便に行われたのだとは思いますが・・・。

というわけで、名古屋東照宮の由緒です。


名古屋東照宮
元和五年(1619)9月17日、初代尾張藩主徳川義直公が日光山鎮座の式に準じて、名古屋城郭内、三の丸に社殿を創建し、父である徳川家康の神霊を祀ったのがその始まりである。
明治5年5月村社に列せられ、同年8月8日縣社に昇格、同9年10月、名古屋鎮台が城内に置かれたことを機に、天王社(那古野神社)とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座される。建物は、創建以来の権現造の本殿、渡殿、楼門、唐門、透塀、楽所、社務所等極彩色の国宝の諸建造物が並び輪郭の美を極めていたが、1945年5月14日の空襲により焼失する。現在の本殿は、昭和28年10月尾張徳川家より藩祖義直公の正室高原院殿(春姫)の霊廟を移築し社殿とする。この御霊屋は慶安4年(1651年)に万松寺境内に建てられ、大正3年(1914年)に建中寺へ移築されたものであった。昭和35年(1960年)に愛知県の有形文化財に指定されている。
祭神は徳川家康である。


ところで、これまでにも何度か「遷座(せんざ)」と言う言葉が出てきましたが、なんとなく分かっている人も多いかもしれませんが、これは神社の本殿を修理や本殿を新たに建てた場合などに神体を移す行為のことです。同じような意味の言葉で「遷宮(せんぐう)」というのがありますが、これは伊勢神宮の神宮式年遷宮のことを指す場合が多く、それ以外の神社では遷座と呼んで区別しているそうです。

さて、肝心のお祭ですが、東照宮祭は、戦前まで「名古屋祭」と呼ばれていました。現在の「名古屋まつり」は昭和30年より始まったもので、東照宮祭とは違いますが、戦前の「名古屋祭」を引き継いだものです。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑のパレードや、山車の巡行が観られるなど、そっちはそっちで楽しめそうです。


東照宮祭
開催日:4月16日、17日

江戸時代を通じて、例祭である東照宮祭は天王社の天王祭、若宮八幡社の若宮祭とならんで名古屋三大祭とされた。中でも東照宮祭は、天保年間(1830年~1844年)までに名古屋最大の祭となり、戦前まで「名古屋祭」と言えばこの東照宮祭を指していたという。
東照宮祭には山車が出るのが通例であった。これは、創建した元和5年(1619年)に、大八車に西行の人形を乗せて出したのが始まりとされ、宝永4年(1707年)までに9台の山車が作られるにいたった。現在は、東区筒井町の「湯取車」がただ1台現存する。
明治9年、那古野神社とともに現在の場所に移転された後も「名古屋祭り」として盛大に行われていたが、空襲によって山車の多くが焼失したため形を変えて、現在行われている「名古屋まつり」へと引き継がれた。現在の「名古屋まつり」で行われる山車の巡行はその名残と言われている。
現在の東照宮祭は、16日は舞楽奉奏、17日は武道大会が神社内で行われている。
また、名古屋東照宮は、名古屋城、那古野神社とともに、名古屋の桜の名所としても知られている。


東照宮祭については、こんなところです。那古神社や若宮八幡社の例祭と比べると、少し簡素な気はしますが、舞楽や武道大会が行われるということで、他の祭りとの差別化が図れて良いのではないでしょうか。武道大会は個人的にちょっと観てみたいです。

これで、名古屋城と名古屋三大祭の地の紹介が全て終わりました。次の神社は・・・と、その前に、那古野神社、若宮八幡社、名古屋東照宮の現地の画像が必要ですよね。というわけで、次の神社の前に現地取材に行ってきます。名古屋城の取材ような、楽しいことがたくさんあるといいなー。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。