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名古屋歴史

名古屋に存在する寺院や神社の由緒や、そこで行われる祭りについて紹介します。

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名古屋の夏祭りといえば・・・

前回の更新で、次回は若宮八幡社の現地取材と予告していましたが・・・なかなかスケジュールが合わず、都合の良い日に限って天気が悪かったりで、まだ行けてません。今日も雨・・・。なので、若宮八幡社はちょっと先送りにして、今回は広小路夏まつりについて書いてみたいと思います。

これまで4つの祭りを取り上げてきましたが、すべて祭りの名称にはそれぞれの神社の名称が使われていました。しかし、広小路夏まつりは神社の名称ではなく、地名というか道路の名称(広小路通)です。あー神社とは関係のない祭りだから、趣旨からはずれてしまうかなーと思って調べてみると、元々は朝日神社という神社の例祭に由来した祭りでした!これなら安心して紹介できます。


朝日神社
朝日神社は、伊勢の神宮の神領地(御園)であった清洲城下、朝日郷に鎮座されていたが、慶長16年の夏、名古屋城の築城に伴い、特に領主の請願により、数あるお社の中から朝日神社を城下町碁盤割り守護神として氏子共々本丸の真南の現在地に移築、遷座された。城下町碁盤割りの唯一の神社として、清洲越しの士民の崇敬をあつめた(古渡稲荷、日出神社の2社も清洲越しにより名古屋に遷座した)。現在でも名古屋では、清洲越しを経験した旧家であることが伝統と格式を示すものとされることがある。
また、神社の名称は、古くは単に神明社、広小路の神明宮、広小路の朝日神明宮と称していた。その後、清洲越しを後世に伝えるために「朝日神社」と改称された。この名称は、豊臣秀吉の妹君であり徳川家康の正室である「朝日姫」の名前も関係している。

ここでも出ました徳川の名。神社に自分の妻の名をあてるとは、家康って結構ロマンチスト?


さて、そんな朝日神社の例祭として行われていた広小路夏まつりですが、現在のような広小路通全体の行事となったのは昭和4年からです。それより以前はというと・・・それを記した資料が見つかりません。現地取材に行けば、何か手がかりがつかめるかもしれません。


広小路夏まつり
開催日:8月の第3土曜日、日曜日

名古屋の風物詩とも言われる祭りで、毎年約450万人の人出で賑わう。17時から21時まで広小路通りが歩行者天国になり、音楽隊・山車・昇竜みこしのパレードのほか、三越号・丸栄号など、百貨店もパレードに参加する。また、阿波踊りや沖縄エイサーなど、様々な踊りが披露される。
平成16年より、地球温暖化や、ヒートアイランド現象への市民の意識を高めるため「名古屋打ち水大作戦」と称した行事が行われている。


打ち水大作戦は、テレビのニュースで取り上げられることもあるので、知っている人も多いのではないでしょうか。私は今回このブログを始めるまで、打ち水大作戦が広小路夏まつりのイベントの一つだとは知りませんでしたが・・・

ところで、現在広小路通と呼ばれている道路は、当初は堀切筋と呼ばれ、東西で久屋町-長者町間しかありませんでした。その後、万治3年の大火により碁盤割りのほとんどが焼失し、また一部の武家屋敷にも類焼したため、防火帯として道幅が3間(約5.5m)から15間(約27.27m)に拡張されました。これが今の広小路通りです。

広小路(ひろこうじ)とは元々は地名ではなく、江戸時代以後に設置された幅の広い街路の名称です。上記のように防火帯としての機能を持った街路が各地に広がり、そのような趣旨をもった通りを「広小路」と称するようになりました。だから、名古屋以外にも「広小路」と称される通りや地名が存在しています。


広小路夏まつりについてはこんなところです。これまで紹介した祭りに比べると、ちょっと神社との関わりが薄いような感じがしますが、実際のところはどうなんでしょう?これはやっぱり神社の現地取材&実際の祭りを体験してみなければいけませんね!
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