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名古屋歴史

名古屋に存在する寺院や神社の由緒や、そこで行われる祭りについて紹介します。

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三大祭の地No.1

名古屋歴史第二回目は那古野神社です。

那古野と書いて「なごや」と読みます。名古屋城の由緒でちらっとふれた「那古野城」のなごやです。きらびやかな名古屋城から打って変わって、しぶい雰囲気の神社ですが、せっかく「なごや」と読む神社なので、名古屋城の次に持ってきてみました。それに、ちゃんと名古屋城とも関係のある神社なのです。

名古屋城築城の際に、三の丸(現在の名古屋市中区三の丸一丁目から四丁目までの地域)を築く場所に若宮八幡社や那古野神社などがありましたが、那古野神社のみ遷座されず名古屋城三の丸の郭内に取り込まれたのです。

どうですか。これで、名古屋城の次に那古野神社を紹介する理由がわかるでしょう?(ムリヤリ)


那古野神社
創建は醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)と伝わる。津島牛頭天王社(現在の津島神社)を総本社とする天王社のひとつで、当初は亀尾天王社と呼ばれた。天文元年(1532年)の合戦で社殿を焼失したが、天文8年(1540年)織田信秀により再建された。創建時より若宮八幡社と隣接していたが、慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際に、亀尾天王社のみ三の丸の郭内に取り込まれ、若宮八幡社は城外に遷座した。これより、三之丸天王社とも呼ばれ、城の総鎮守、城下町の氏神とされた。またこの時、新たに三之丸東照宮(現・名古屋東照宮)と隣接している。
明治維新時に須佐之男神社と改称し、明治9年(1876年)名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、東照宮とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座、明治32年(1899年)に那古野神社と改称した。

以上が那古野神社の由緒です。

ところで、現在でも那古野という地名は存在しますが、「なごや」ではなく「なごの」と読むみたいです。場所的には名古屋城や那古野神社からも近いため、名残りかなにかでしょうか。

そして、那古野神社では、当然祭りが行われます。ここで行われる祭りは、江戸時代には名古屋三大祭と称されるほどのものでした。三大祭の残り二つはまた後ほど。


那古野神社例大祭
開催日:7月15日、16日

江戸時代では、若宮祭、東照宮祭とならんで名古屋三大祭とされ、特に若宮祭とは同日であったことから祇園祭と総称された。車楽(だんじり)2両と見舞車(山車)10数両が曳き出され賑やかなものであったが、戦災などにより、そのほとんどを焼失。現在では焼失を免れた旧茶屋町の車楽、「住吉車」を組み立て、境内に飾られている。
見舞車についても、明治維新での氏子区域の変更や、祭礼形態の変更があったため、よそへ売られたり自町の祭りで曳かれるようになり、那古野神社の祭礼に参加することはなくなった。
現在名古屋市内に残る見舞車は、中村区の「紅葉狩車」、「二福神車」、「唐子車」と、東区の「神皇車」の4輌である。中村区の3輌は花車神明社祭で、東区の1輌は筒井町天王祭で見ることができる。
明治25年からは、山車に変わって神輿が登場し、那古野神社と若宮八幡社を往復するようになった。


こうして文章で見てしまうと、昔に比べて現在の祭りはグレードダウンしてしまった感がありますが、地域で毎年決まった日に行われる祭りということで大切にされているのではないでしょうか。ぜひ見に行きたいものです。

次回は那古野神社の現場レポート・・・か?
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