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名古屋歴史

名古屋に存在する寺院や神社の由緒や、そこで行われる祭りについて紹介します。

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若宮八幡社

よーやく行ってきました若宮八幡社。これで名古屋三大まつりの地、すぺて制覇です。

行ってみて分かったのですが、若宮八幡社は、那古野神社、名古屋東照宮に比べて敷地面積がはるかに広いです!そして、祭りの紹介の項でも書きましたが、その広い境内を有効活用するかのごとく駐車場として使用されています。さらに、平日にもかかわらず満車。そして、神社には似つかわしくない若者の姿がちらほら。やはりロフトやパルコが近いだけのことはある。みんな知っているんですね。確かに一日1.000円は魅力です。

では、若宮八幡社の中を紹介していきます。


まずは入り口の鳥居です。

若宮鳥居


入り口に立ってみると、真っ直ぐ正面に手水社が見えます。このパターンは初めてかも。今まで訪れた神社は、鳥居をくぐった脇にあるパターンばかりだったので・・・。

若宮手水社

神社の規模の割にはシンプルな手水社です。これだけ敷地が広いと、手水社もドでかい龍の蛇口だったりを少し期待したのですが・・・。ところで、手水社にある柄杓受けがこれまで訪れたどの神社も竹だったのですが、これは決まりなのでしょうか?しかし、これが竹以外の物だとやっぱり味気ないですね。

手水社の後方には社務所と社殿が見えます。鳥居の写真を見てもらえれば分かりますが、鳥居と手水社が一直線上に、そして、それを中心にして左右に社務所と社殿というなんともバランスの取れた配置で、安定感というか、安心感というか、とにかく違和感無く全体を見渡すことができます。

若宮拝殿

そして、社殿、社務所とも今まで訪れてきた神社の中で一番大きいです。さすが神前挙式や披露宴の会場として使えるだけのことはあります。今まで知り合いの結婚式に何度か出席したことはありますが、神前挙式はまだ経験がありません。なんか厳粛でよさそうです。だれか知り合いで神前挙式してくれないかなー、と思う今日このごろです。でも、寒い日はちょっとキツそう・・・。

ところで、若宮八幡社のホームページを見てみると、「若宮日記」なるものがあります。なんでも、巫女さんが書いているブログだそうで、神前挙式のことも書かれていました。興味のある方は、見てみると色々参考になるかもしれません。他にも、神社の日常などが書かれていて、なかなか楽しい読み物です。

鳥居、手水社、社務所、拝殿と紹介してきましたが、まだまだ終わりません。恒例の(?)神社in神社が、若宮八幡社にもあります。

今まで正式な呼び名が分からなくて、勝手に「神社in神社」などと称していましたが、正式には「摂末社」というものだそうです。「摂末社」とは摂社と末社を併せた呼称で、摂社はその神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社、末社はそれ以外のものと区別されているそうです。

そして、ここ若宮八幡社には11もの摂末社があります。

若宮摂末社

上段左より、龍神社、恵美須神社、連理稲荷社、下段左より、連理稲荷社奥之院、熊野社・日吉社・香良洲社・天神社・秋葉社合殿、神御衣神社、住吉神社です。

一箇所でこれだけの神社のご利益を得ることができるとは、なんともお得ですね。すべての摂末社が通路の両側にあるので、ここは360度カメラの出番だろうと思い、撮ってみました。

若宮360度

どうですか?一面神社だらけです(笑)こんな写真なかなか撮れないのではないでしょうか?

その神社の並びの中に、こんなものがありました。

針塚

「針塚」です。祭りの紹介の項でも書きましたが、摂末社のひとつである神御衣神社は針供養で有名な神社です。なので、こういったものがあるのでしょう。意外と何気なく置かれているので、危うく見落とすところでした。

針供養祭では、使い古した針や折れた針を豆腐やこんにゃくに刺して供養するそうです。着物を着た女性がそれをやっている姿はちょっとおもしろそうです。

ここで、豆腐とこんにゃくに疑問を持った方、いると思います。自分もそうでした。なので調べてみました。

針供養は使い込んだ針に感謝の気持ちを込めて休ませてあげるもので、普段硬いものを縫って折れてしまった針をいたわるために、豆腐やこんにゃくといった柔らかいものに刺してあげる、とのことです。なるほど。


これにて取材終了、さて帰ろうかと思っていると、境内の脇に山車を保管しているであろう倉庫を発見しました。

若宮倉庫

おそらくは若宮まつりの時にしかお目見えされないものと思います。シャッターを隔てた向こう側にあるというのに見られないこのもどかしさ。これは若宮まつりを観にいくしかないかも。

最後に余談ですが、若宮八幡社は現在の地に遷座されてから400年の節目となり、その記念事業として社殿の屋根の葺き替え工事を行うそうです。工期が平成22年5月~11月とのことなので、工事前の社殿を見られるのもあとわずかです。工事前に取材できてよかった・・・。というわけで、工事前の社殿を見たい方はお早めに!

名古屋の夏祭りといえば・・・

前回の更新で、次回は若宮八幡社の現地取材と予告していましたが・・・なかなかスケジュールが合わず、都合の良い日に限って天気が悪かったりで、まだ行けてません。今日も雨・・・。なので、若宮八幡社はちょっと先送りにして、今回は広小路夏まつりについて書いてみたいと思います。

これまで4つの祭りを取り上げてきましたが、すべて祭りの名称にはそれぞれの神社の名称が使われていました。しかし、広小路夏まつりは神社の名称ではなく、地名というか道路の名称(広小路通)です。あー神社とは関係のない祭りだから、趣旨からはずれてしまうかなーと思って調べてみると、元々は朝日神社という神社の例祭に由来した祭りでした!これなら安心して紹介できます。


朝日神社
朝日神社は、伊勢の神宮の神領地(御園)であった清洲城下、朝日郷に鎮座されていたが、慶長16年の夏、名古屋城の築城に伴い、特に領主の請願により、数あるお社の中から朝日神社を城下町碁盤割り守護神として氏子共々本丸の真南の現在地に移築、遷座された。城下町碁盤割りの唯一の神社として、清洲越しの士民の崇敬をあつめた(古渡稲荷、日出神社の2社も清洲越しにより名古屋に遷座した)。現在でも名古屋では、清洲越しを経験した旧家であることが伝統と格式を示すものとされることがある。
また、神社の名称は、古くは単に神明社、広小路の神明宮、広小路の朝日神明宮と称していた。その後、清洲越しを後世に伝えるために「朝日神社」と改称された。この名称は、豊臣秀吉の妹君であり徳川家康の正室である「朝日姫」の名前も関係している。

ここでも出ました徳川の名。神社に自分の妻の名をあてるとは、家康って結構ロマンチスト?


さて、そんな朝日神社の例祭として行われていた広小路夏まつりですが、現在のような広小路通全体の行事となったのは昭和4年からです。それより以前はというと・・・それを記した資料が見つかりません。現地取材に行けば、何か手がかりがつかめるかもしれません。


広小路夏まつり
開催日:8月の第3土曜日、日曜日

名古屋の風物詩とも言われる祭りで、毎年約450万人の人出で賑わう。17時から21時まで広小路通りが歩行者天国になり、音楽隊・山車・昇竜みこしのパレードのほか、三越号・丸栄号など、百貨店もパレードに参加する。また、阿波踊りや沖縄エイサーなど、様々な踊りが披露される。
平成16年より、地球温暖化や、ヒートアイランド現象への市民の意識を高めるため「名古屋打ち水大作戦」と称した行事が行われている。


打ち水大作戦は、テレビのニュースで取り上げられることもあるので、知っている人も多いのではないでしょうか。私は今回このブログを始めるまで、打ち水大作戦が広小路夏まつりのイベントの一つだとは知りませんでしたが・・・

ところで、現在広小路通と呼ばれている道路は、当初は堀切筋と呼ばれ、東西で久屋町-長者町間しかありませんでした。その後、万治3年の大火により碁盤割りのほとんどが焼失し、また一部の武家屋敷にも類焼したため、防火帯として道幅が3間(約5.5m)から15間(約27.27m)に拡張されました。これが今の広小路通りです。

広小路(ひろこうじ)とは元々は地名ではなく、江戸時代以後に設置された幅の広い街路の名称です。上記のように防火帯としての機能を持った街路が各地に広がり、そのような趣旨をもった通りを「広小路」と称するようになりました。だから、名古屋以外にも「広小路」と称される通りや地名が存在しています。


広小路夏まつりについてはこんなところです。これまで紹介した祭りに比べると、ちょっと神社との関わりが薄いような感じがしますが、実際のところはどうなんでしょう?これはやっぱり神社の現地取材&実際の祭りを体験してみなければいけませんね!

名古屋東照宮

その道を進んで行くと・・・また神社。???どういうことだ?那古野神社の敷地内にはまだ神社があるのか?と思って、回りをよくよく見てみると、なんとここが名古屋東照宮でした。那古野神社側から見えた鳥居は、名古屋東照宮の鳥居だったのです。

那古野神社と名古屋東照宮が隣りあっているということは事前の調査で知っていましたが、これは隣りあっているというよりも、繋がっていると言った方が・・・ってな感じです。

道360度

少し分かりにくいかもしれませんが、この画像を見ると那古野神社の鳥居と名古屋東照宮の鳥居が一直線上にあることが見て取れます。ちなみにこの画像、那古野神社の現場取材の時の最後の画像に写っていた、敷地を隔てていると思われる鉄柱を中心に撮影しています。こういう時に360度カメラの本領が発揮されるのか?

とりあえず、改めて鳥居をくぐり名古屋東照宮へと足を踏み入れる。

東照宮鳥居

こちらも入ってスグのところに手水社があります。
那古野神社のような龍の蛇口はありませんでしたが、柄杓に大きく「水」と書いてあります。水以外のものをすくってはいけない、という意味でしょうか?

東照宮手水社


手水社で手と口を清めて、境内へと進みます。那古野神社に比べるとさっぱりした感じです。拝殿以外特に何もないせいでしょうか?しかし、その分唐門や拝殿はりっぱな造りに感じられます。那古野神社との違いは、やはり拝殿の前に唐門があるということです。

東照宮 門

東照宮 拝殿

そしてここでも家紋が目に留まります。徳川家に縁のある神社なので、当然葵紋です。他の家紋は知らなくとも葵紋だけは知っている、という人も多いのではないでしょうか?水戸黄門の影響ですね。

東照宮葵紋

葵紋は徳川家の紋として知られるていますが、もとは京都にある「加茂神社」の神紋です。加茂神社の葵祭に公家たちが葵の若葉を鬘にしたことから加茂神社の社紋となり、そこに奉仕する家の紋となった。徳川家はその祖先が三河の加茂郡松平の地にあって、加茂朝臣松平太郎左衛門と号したことによって、家紋を葵紋としたそうです。

しかし、時代を超えて織田家縁の神社と、徳川家縁の神社が隣りあっているというのは感慨深いものがあります。


ところで、名古屋東照宮にもありました、神社in神社。

福神社

福神社という神社です。どんな由緒のものなのかはちょっと分かりませんでしたが、その名の通り福を招き入れてくれるのでしょうか?奥のお社にある鏡がなんとも神秘的です。

さて、これで名古屋東照宮も一通り見終わりましたが、さすがにここでは面白いものは見つけられないなーと思いながらも色々観察してみると、こんなものを見つけました。特に面白いってわけでもありませんが。

東照宮キノコ

大量の菌糸に覆われたキノコです。キノコってこんな寒くて乾燥した時期に発生するものなのでしょうか?


今回、那古野神社と名古屋東照宮を取材しましたが、割と街中にあるにもかかわらず静かで良い雰囲気の神社でした。夏休みの早朝なんかに来たら、セミが鳴いてたりしてそうな雰囲気です。そして、今回の取材で小学校の時の遠足を思い出しました。何故か小学校一年生の時の遠足の行き先が神社だったのですが、境内でドッジボールや大縄跳びをした記憶が・・・今考えると、なんともバチ当たりです。二年生のときの遠足は古墳だったし・・・変な学校でした。

次回は残る一つの若宮八幡社の取材に行きたいと思います。更にその次は・・・どーしよ?

那古野神社

予告どおり、今回は現地取材です。

まずは那古野神社へ行ってきました。

名古屋城は入り口は城門でしたが、ここは鳥居。神社だから当たり前か。しかし、鳥居がでかい。歩道からではファインダーに納まりきらないため、道路まで出て撮影する。車が来なくて良かった・・・

那古野神社鳥居

では、那古野神社の境内へ。

入ってスグに手水社があります。

那古野神社手水社

なかなか迫力のある龍の蛇口、私好みです。ところで、「龍の蛇口」って書くと、なんか違和感ありませんか?「龍」なのに「蛇の口」って・・・しかし、蛇口はその形が蛇の口の形に似ていることから付いた名前ではないみたいです。
日本での水道の始まりは道路の脇に設置された共用栓ですが、当初は日本や中国で水の守護神とされる龍の形でつくられ、龍の元となった生物がヘビであることから「蛇体鉄柱式共用栓」と呼ばれました。やがて専用栓が付くようになった際、その形が蛇体鉄柱式共用栓を小さくしたもので、龍の子のようなものであることから「蛇口」と名付けられたそうです。

話がそれましたね。
で、脇には「手水社は口や手を清めるところです 他のことはしないで下さい」との注意書きが。他のことって・・・?夏になると行水したりする人がいるのでしょうか?

しっかり口と手を清めたら、拝殿へ向かいます。

那古野神社社殿

いかにも神社!って感じの佇まいです。そして、お賽銭箱と提灯にはしっかりと織田木瓜の家紋が。織田家との関係の深さがうかがい知れます。

那古野神社家紋

境内を回ってみると、色々なものが目に付きます。まずは、やはり神社だけあって絵馬がぶら下がっています。ここは、どんな願い事がされているのか見ておかなくては。必ず一つや二つはワケのわからんものがあるはず(笑)。で、見てみると、近くに大きな病院があるせいか、健康や病気の治癒を願う内容が多かった気がします。また、今のご時世を反映してか、就職を願う内容のものも多くありました。意外にもまともなお願いばかりでしたが、その中で一つ面白かったお願いは「本部長になれますように」。なんか、現実的すぎじゃないか?

それから、神厩舎らしき建物がありました。

那古野神社厩舎

かつては那古野神社には神馬がいたのでしょうか?しかし、神厩舎は馬の存在如何を問わずに設置されている神社も多かったようで(馬は世話や費用が大きな負担となるため)実際のところは分かりません。そして、絵馬や、神社によくある馬の像は、神馬の代替物でもあるそうです。

変わったものでは、「厄除の公孫樹」というものがありました。なんでも、昭和20年3月19日の空襲で消失したのですが、その後2、3年で新しい芽を出し、現在の立派な木に成長したことから、延命長寿の縁起の良い木とされているそうです。それを表すかのように、しっかりとしめ縄が巻かれていました。

那古野神社木

境内はこんな感じですが、ここで恒例の(?)360度カメラの登場です。

那古野神社360度

この画像で、那古野神社のほぼ全てが分かります。こうして見てみると、まさに神社!ってな感じが分かるのではないでしょうか。

さて、那古野神社の敷地内には更に二つの神社があります。「福寿稲荷大明神」と、「金山神社」です。

那古野神社福寿稲荷

那古野神社金山神社


お稲荷さんは那古野神社以外の神社でもたまに見かけることがあるので、そんなに疑問というか違和感は感じませんでしたが、金山神社の方は・・・小さいとはいえちゃんとした神社。神社の中に更に神社って、もしかしてそんなに珍しいことではないのでしょうか?勉強せねば・・・ちなみにこの金山神社は、岐阜県垂井の南宮大社から分霊してもらって、ここに建てたものだそうで、金属や金物の神様として、その関係の業界の人たちが参拝に訪れるそうです。

そんなこんなで、那古野神社も一通り取材できたかな、と思っていると、なにやらまだ西の方へ続く道が。そしてその先には大きな鳥居があります。あれ?那古野神社ってまだこの先があるのかー、と思い、その道を進んで行くと・・・

2010-3-23-1.jpg


次回に続きます!

三大祭の地No.3

名古屋歴史第四回目は名古屋東照宮です。

那古野神社例大祭、若宮まつりと並んで、名古屋三大祭と称される祭りの一つ、東照宮祭が行われる地です。この神社も、那古野神社、若宮八幡社とはただならぬ関係(?)で、若宮八幡社が名古屋城築城の際に名古屋城三の丸から現在の場所に遷座したのに対し、名古屋東照宮は徳川義直より城郭内三の丸に勧請された(しかも亀尾天王社(現在の那古の神社)の隣地)という歴史があります。現在の場所に仮遷座する際も、那古野神社の遷座と同時期に行われました。

こうして文章にしてみると、元々隣接していた那古野神社と若宮八幡社の間に名古屋東照宮が割って入って、結果的に名古屋東照宮が若宮八幡社を三の丸の地より弾き出した、って感じがしませんか?まぁ、実際のところは名古屋城築城に伴った事情により、穏便に行われたのだとは思いますが・・・。

というわけで、名古屋東照宮の由緒です。


名古屋東照宮
元和五年(1619)9月17日、初代尾張藩主徳川義直公が日光山鎮座の式に準じて、名古屋城郭内、三の丸に社殿を創建し、父である徳川家康の神霊を祀ったのがその始まりである。
明治5年5月村社に列せられ、同年8月8日縣社に昇格、同9年10月、名古屋鎮台が城内に置かれたことを機に、天王社(那古野神社)とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座される。建物は、創建以来の権現造の本殿、渡殿、楼門、唐門、透塀、楽所、社務所等極彩色の国宝の諸建造物が並び輪郭の美を極めていたが、1945年5月14日の空襲により焼失する。現在の本殿は、昭和28年10月尾張徳川家より藩祖義直公の正室高原院殿(春姫)の霊廟を移築し社殿とする。この御霊屋は慶安4年(1651年)に万松寺境内に建てられ、大正3年(1914年)に建中寺へ移築されたものであった。昭和35年(1960年)に愛知県の有形文化財に指定されている。
祭神は徳川家康である。


ところで、これまでにも何度か「遷座(せんざ)」と言う言葉が出てきましたが、なんとなく分かっている人も多いかもしれませんが、これは神社の本殿を修理や本殿を新たに建てた場合などに神体を移す行為のことです。同じような意味の言葉で「遷宮(せんぐう)」というのがありますが、これは伊勢神宮の神宮式年遷宮のことを指す場合が多く、それ以外の神社では遷座と呼んで区別しているそうです。

さて、肝心のお祭ですが、東照宮祭は、戦前まで「名古屋祭」と呼ばれていました。現在の「名古屋まつり」は昭和30年より始まったもので、東照宮祭とは違いますが、戦前の「名古屋祭」を引き継いだものです。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑のパレードや、山車の巡行が観られるなど、そっちはそっちで楽しめそうです。


東照宮祭
開催日:4月16日、17日

江戸時代を通じて、例祭である東照宮祭は天王社の天王祭、若宮八幡社の若宮祭とならんで名古屋三大祭とされた。中でも東照宮祭は、天保年間(1830年~1844年)までに名古屋最大の祭となり、戦前まで「名古屋祭」と言えばこの東照宮祭を指していたという。
東照宮祭には山車が出るのが通例であった。これは、創建した元和5年(1619年)に、大八車に西行の人形を乗せて出したのが始まりとされ、宝永4年(1707年)までに9台の山車が作られるにいたった。現在は、東区筒井町の「湯取車」がただ1台現存する。
明治9年、那古野神社とともに現在の場所に移転された後も「名古屋祭り」として盛大に行われていたが、空襲によって山車の多くが焼失したため形を変えて、現在行われている「名古屋まつり」へと引き継がれた。現在の「名古屋まつり」で行われる山車の巡行はその名残と言われている。
現在の東照宮祭は、16日は舞楽奉奏、17日は武道大会が神社内で行われている。
また、名古屋東照宮は、名古屋城、那古野神社とともに、名古屋の桜の名所としても知られている。


東照宮祭については、こんなところです。那古神社や若宮八幡社の例祭と比べると、少し簡素な気はしますが、舞楽や武道大会が行われるということで、他の祭りとの差別化が図れて良いのではないでしょうか。武道大会は個人的にちょっと観てみたいです。

これで、名古屋城と名古屋三大祭の地の紹介が全て終わりました。次の神社は・・・と、その前に、那古野神社、若宮八幡社、名古屋東照宮の現地の画像が必要ですよね。というわけで、次の神社の前に現地取材に行ってきます。名古屋城の取材ような、楽しいことがたくさんあるといいなー。
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